


「拝啓
先日滞在したホテルがテレビの特集に出ているのを見てあの日を思い出し、胸がいっぱいになりました。
あの時受けた、心づかい。
それは、妻との想い出の地を巡る旅で最高の想い出となり、先の長くない私にとって、もう二度とできないであろう、そんな体験となりました。」
書き出しは、そんな風にはじまっていました。
私は封筒の裏を返し、差出人の方のお名前を見ました。覚えています。確か、一ヶ月ほど前に宿泊されたお客様です。60代なかばほどの、物静かな男性でした。
「遡ること一ヶ月前。
私は40年ぶりのひとり旅に出ていました。
一人で巡る想い出の地。巡るほどに想い出はよみがえり、同時に喪失感が強くなる……。
湖、ドライブロード、カフェ……。
その途中でふと思い立って連絡したのが、部屋の窓から富士山の見えるそちらのホテルでした。」
確かに、お客様はドライブインらしきところからお電話をくださいました。ご予約はおひとり様でした。
私たちスタッフは、ご予約されてきたお客様がどのような方で、どういった目的で宿泊されるのかを、やりとりの中からさりげなく探ります。お客様のご記憶やご希望から、心地良く滞在していただくためのキーワードを導き出すためです。これは、一見簡単そうに思えますがとても難しいこと。特に新人の頃は、情報を聞きだすのに苦労しました。先輩スタッフの受け答えをこっそりメモしたこともあります。
「当ホテルは、何でお知りになりましたか?」そうおたずねしますと、「先日、雑誌の特集に掲載されていたのを見たんです」というお答えです。「では、観光でのご滞在ですか?」とお聞きしましたら、一拍、二拍、沈黙があり、「いや、観光とは、少し違うかも……」と言葉をにごされているご様子です。あまり深追いしては、と事務的な確認に移ろうと息を整えたとき、「懐かしい場所なので……」というお声が聞こえてきました。
そのときはただ、親しい方との楽しい記憶を懐かしみにいらっしゃるのだと思い、「リラックス」というキーワードを抽出しました。ところが……。
「旅の終わりに、そちらのホテルに到着しました。素敵な空間、素晴らしい景観、本当にくつろげました。でも、なぜか心は躍らない……。夕食の間も、外を眺めてばかりいました。そんな私に、声をかけてくださいましたね。「この辺りは、何かの大切な場所なのですか?先ほど、随分と長い時間、外を眺めていらしたので……」と。私はそのとき何と答えたのか、実は自分ではよくわかっていなかったのです。」
私はよく覚えています。再度、窓の外に目を向けられて、お客様はこうおっしゃいました。
「亡くなった妻と、富士山を眺めるのが好きだったんだ。あたたかいコーヒーをのみながら、よく一緒に見ていたんだよ……」
そして、「もう一度……」と言いかけ、「いや、何でもない……」と口をつぐまれてしまったのです。
そのとき私は、雷に打たれたように気づきました。お客様は、くつろぎにいらしたのではなく、記憶をたどってここにいらしたのだと。想い出を追っていらしたのだと……。
「翌日の朝食後、部屋に戻る途中、声をかけられました。「ご一緒に来ていただけませんか?」と案内された屋上のテラスには、小さなテーブルが置かれ、二人分の席が用意されていました。あたたかなコーヒーも二人分。そして、「奥さまとご一緒におくつろぎください」と言われたとき、妻との記憶が一気にあふれだしました。妻の声、いつものしぐさ、ケンカしたこと、妻の笑顔、そして……妻と一緒に眺めた景色。」
お客様は静かに涙を流していらっしゃいました。あたたかいコーヒーを手に、初夏の空の下、まだ雪をいただいていた富士山を、静かに、ずっと眺めていらっしゃいました。私にはお客様の頬を伝う涙が、富士山の雪解け水のように感じられました。
「あのとき私が感じていたことを、正直にお伝えします。"隣に妻がいる"……そんな気持ちになっていたのです。そして帰り際、あなたたちから一冊のアルバムを頂きました。ホテルからの景色を写した写真が何枚か貼られていましたね。私は家に戻ってから、アルバムに妻の写真を加えました。今でも時折見返す、最高の「宝物」です。本当にありがとう。今度、東京のレストランにもお邪魔してみます。」
手紙はそう綴られていました。私の方こそ、お客様が大切な旅にこのホテルをお選びいただいたことに、感謝の気持ちが尽きません。
